2020年05月30日

12 最後に

懐奘の考えは、正法眼蔵随聞記と光明蔵三昧を比較すると、後者において深まったことがわかります。修行を重ね、年齢を重ねたからともいえますが、それだけではなく、道元の著作を整理したことが大きな要因としてあるでしょう。

懐奘の考えは深まりましたが、その深まりの方向は哲学としてではなく宗教家として、です。前にも述べましたが、哲学者は「なぜ?」と問う人であり、宗教家は「やってみる」と教える人です。懐奘は後者になりました。

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これで本稿を終わりにします。長い間、拙文を読んでいただき、心から感謝申し上げます。




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2020年05月29日

11 光明蔵三昧(12)65

いいですか、いかなる時も頭で考えることをしないでで、一日中、死人のようになるのです。自分の考えを出すとか、判断するとか、そういうことをしない。そうではあっても呼吸し、聞き、触れ、思案しない状態で、心と体が一つになりかすかな光に包まれます。心が体に通じ、体が心に通じます。この状態が光明です。

いかなる天変地異が起きようとも草は生えてくるし花は咲きます。人も動物も、その大小にかかわりなく、長いとか短いとか四角いとか丸いとかすべてがあなたの思案にかかわらずこの世に姿を現します。これは光明が天変地異にも思惑にも遮られないことを意味しています。光明蔵は虚なるがゆえに明るく、自ら発光する働きの不要な心の働きです。


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2020年05月28日

11 光明蔵三昧(11)64

仏法の修行をしている友に申し上げたい。

一つのものごとは多面的にとらえることができる。聡明であろうなどと思ってはいけない。寺で学んだことを後生大事としがみついてはいけない。心身をこれまでのべてきた光明蔵にまっすぐに向けて日々を過ごしてください。
それ以外に何もありません。悟りを求めてはいけません。迷いを払いのける必要はありません。妄念が起きることを避けなくてもいいです。もし妄念が起きたら、「あ、今、妄念が起きている」と思えばいいです。このようにしてここで座りぬいてはいかがですか。

あなたが妄念にとらわれなければ妄念は消えます。妄念は、実態のない空気のようなものであり、やがて消える火のようなものです。わたしたちが呼吸の一つひとつを意識しないように妄念が起き消えるままに放っておけばいいのです。そのようなことに取り合わずひたすら座るのです。毎日毎日、数多くの雑念が起き、消え、また起きても、先ほど言ったように、「あ、妄念が起きている」と思い取り合わなければ、修行の一瞬一瞬があなたの身につくでしょう。もちろん、座禅している時間だけを言っているのではありません、歩いているときも、食事をするときも、です。


posted by sakonjqs at 04:39| 正法眼蔵随聞記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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