2013年12月31日

はじめに(2)


 その会社の専務も正法眼蔵随聞記(しょうぼう・げんぞう・ずいもんき)を買った。専務は私に「これですよね」と見せた。その本は、私が買った本とは、違う。水野弥穂子(みずの・やおこ)訳「正法眼蔵随聞記」ちくま学芸文庫であった。和辻哲郎校訂のほうは古文だけで薄っぺらい冊子だが、こちらは、古文・注・口語訳から構成されていて、ちょっと、重量感がある。

 私はこちらも買った。読み始めた。しかし、すぐに読むことを断念した。古文・注をよまずに、口語訳に目がいってしまうのだ。口語訳は、表面的意味はわかるのだが、原著者のいおうとする雰囲気がわからない。これでは正法眼蔵随聞記を読む意味がない。
 私は英語ができない。しかし映画「風と共に去りぬ」を日本語吹き替えではみない。アメリカ内乱(=南北戦争)のなかにあってすべての財産をなくしても力強く生きる人間の姿を描こうとしたマーガレット・ミッチェル(原著者)の叫びが、日本語吹き替えでは、伝わらない。英語で見ることによってこそ、最初は甘い生活を夢見ていた女の子・スカーレット・オハラ(主人公)がアメリカ南部の強い女に成長していく姿を知ることができる。一語一語の意味など、どうでもいい、一語一語の意味じゃない、その人間が何を言おうとしているのか、人間として、全体として受け止めることが大事だ。

 一応、小西甚一著「基本古語辞典」大修館書店も買ったが、これも、ほとんど使わない。ひたすら、古語でかかれた和辻哲郎校訂「正法眼蔵随聞記」岩波文庫を読んでいる。

 これから正法眼蔵随聞記をよもうとする方にアドバイスをする。
 実は上記の二冊は伝承の流れが違う。水野弥穂子訳のほうは、長円寺本といって、室町・鎌倉時代の原文にちかいと学者のあいだではいわれている。和辻哲郎校訂のほうは江戸時代に書きなおしたものである(面山本といわれる)。水野弥穂子訳を、しっかりと、古文を読むことのできる人は、こちらが良い。


posted by sakonjqs at 07:39| 正法眼蔵随聞記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月30日

はじめに(1)


 私は、次のような経緯で、正法眼蔵随聞記(しょうぼう・げんぞう・ずいもんき)を知るようになった。

 1993年ころ、ある会社の経営顧問をしていた。その会社では、毎月1回、仏教研究者(大学教授)に来ていただき、社員に仏教の歴史を講義していただいた。午前中の講義がおわり、教授、社長、専務、私の四人は雑談をしながら昼食をとるのが常であった。ある日、その席で、私は教授に質問をした。
  左近:私は仏教に興味があります。仏教の本を読みます。しかし、
     仏教の本質というか、仏教ってなにかということがわかりま
     せん。
  教授:そうですね。中村元著「ブッダの言葉」なども入門書のよう
     にみえていて、内容は難しいですね。
  左近:出家をしなければ仏教の本質はわからないものですか?
  教授:かならずしも出家しなければわからないものではありません。
     正法眼蔵随聞記を読んではいかがですか。

 翌日、本屋さん(東京・八重洲ブックセンター)へ行って、書架を探した。そこで和辻哲郎校訂「正法眼蔵随聞記」岩波文庫をみつけた。小冊子であった。さっそく買い、読んだ。

 古文なので詳細な意味はわからない。誤った理解もあるかもしれない。しかし、その意味する概略はわかる。「仏教ってこういうことか」ということがわかっただけでなく、「人生はこうやって生きていくんだ・・・」ということがわかった。たとえて言えば、雲のあいだから陽の光がさしてきたような気分であった。




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