2014年03月31日

幕のあいまV(武士って何か(1))                                


 正法眼蔵隋聞記(しょうぼう・げんぞう・ずいもんき)は1200年過ぎに書かれた。これまで、そのころに生きた二人の人物を紹介した。熊谷次郎直実(1141−1207)と法然(1133−1212)である。直実は、人生の前半を武士として過ごし、やがて僧になった。法然は武士の子として生まれたが、父が暗殺されるにともない、9歳で僧になった。

 ここで武士って何かを考えよう。
 最初にお断りしておく。私は学者でない。文献を読む量が少なく、その知識は乏しい。ここでは限定された知識から想像する。すなわち、以下は私のフィクションである。

 まず、現代の中国の一人っ子について述べたい。武士のテーマと関係ないように見えるが、まあ、そう言わず、しばらく、お付き合いいただきたい。
 私は、中国で、ある中国人の若者と食事をした。その若者は次のような話をした。
  「私には6人の姉がいます。すべて女だったので、
  男の私が生まれて、私が戸籍に入りました」と。
姉6人はどんな生活をしているのだろうか? この先、どんな人生を歩むのだろうか? しかし、聞くことを躊躇した。両親は「幸せになってほしい」と思うだろうが、幸せになる方法は極めて限定される。中国の人は政府を信頼しない。日本人は政府に服従する。中国で戸籍に入ることおよび入らないことは、日本に比べると、やや違う。しかし、違うとはいえ、就職の道は限定される。結婚は難しいだろう。残された道は、建設現場の肉体労働をするとか、特殊な職業につくとか、そんなことによって生活の糧を稼ぐことになろう・・・。

 子供の将来は、ある程度、親の経済力に依存する。もちろん、日本においても。




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2014年03月30日

第三章(老母と修行のはざま(3))


ジョウは黙って僧Dの様子を見ていた。そしてゲンの話を聞いていた。

ゲン:
慧能禅師(えのう・ぜんじ)の場合、老母がなくなるのを待って、そのあと、世間に未練なくなった時点で仏道に入れば、問題なかっただろう。
 しかし、人間の寿命はわからないものだ。老母が長生きし、自分が先に死ぬようなことだって、起きないとは言えない。この場合、自分が若いころ仏道に入らなかったことを、死の間際で、悔やむであろう。
僧D:
はい。
ゲン:
老母にとっても功徳がある。
僧D:
 はあ
ゲン:
わが子が僧になったあと、老後が餓死した場合も、わが子の好きなことをさせたという功徳を持って、老母は死ぬことができる。
僧D:
 はい。

ゲン:
 どんな世でも母子の愛は深い。しかし、この世で、仏教を学ぶチャンスに遭遇して老母を捨てたならば、あなたは報恩の者というべきだろう。仏の教えることと違うことがあろうか。
僧D:
 はい。

左近コメント:
 上記において、僧Dは、母子のなかの子の立場です。老母を養いたいという深い気持ちがあります。しかし、老母の立場に立つと、違う景色が見えます。老母はわが子の好きな道を歩ませたいと思うでしょう。すなわち、自分が餓死しようとも、子供が勉学の道(仏道の道)に進みたいのであれば、自分を捨てる道を勧めるでしょう。
ゲンの言葉は、最終的に、正しいと思います。ただ、僧Dを納得させるのは至難です。逆に、「いったん、お母さんの面倒を見て、目途が立ったら、改めてここへ来なさい」というのも間違っていないように思います。皆さんはいかが思いますか?


posted by sakonjqs at 05:43| 正法眼蔵随聞記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月29日

第三章(老母と修行のはざま(2))


ゲン:
  成し遂げたいと思う気持ちが強ければ、必ず、そのための方法が見つかり、成就する。
僧D:
  は
ゲン:
  天と地を支配する神の加護もあるだろう。必ず、成就する。
ジョウ:
  両立は可能ですか?

ゲン:
  慧能禅師(えのう・ぜんじ)という人がいた。曹渓(そうけい)という山がある。そこに宝林寺がある。 その6代目だ。
僧D:
  は
ゲン:
  彼は、もともと樵(きこり)だった。薪を売って、母を養っていた。ある日のことだ。市で薪を売っていると、一人の客が金剛経を読んでいるのが聞こえた。それを聞き、彼は「勉強しよう」と決心した。母にいとまを言い、宝林寺に入った。ある人が、10両のお金を恵んでくれた。母はそれで生活したそうだ。この10両も、真剣に思ったために、天が与えてくれたものと思う。あなたもよくよく考えなさい。
僧D:
  はい。
 

左近コメント:
社会的成功者には、人生のある時点で苦境があり、そこから脱却するにあたり、「奇跡」があります。その成功者には本当だったのでしょう。しかし、私を含めた凡人に「奇跡」を説かれても、納得できません。凡人に実行できる方策を説いてほしいです。


posted by sakonjqs at 05:31| 正法眼蔵随聞記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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