2015年12月31日

社会参画(4)

自分の好きなこと、自分の得意なことを「ドア」として新たな領域に入った人はその領域で社会に適合するために工夫(創造)をする。工夫(創造)しなければ、過去に誰もやっていない領域なので、生きていけない。その工夫(創造)は楽しい。充実感を覚える。活き活きと生きることになる。ヒトは人になる。

例をあげる。学習塾を継いだ二代目である。
彼は、一応、大学は出たものの、成績が良かったわけではない。小学校のころ日食観察のノートを担任の先生からほめられ教室に貼り出された。その記憶が頭のなかにずっとあった。
彼は、従来の数学・国語・英語(三教科)の学習塾を縮小した。理科実験を専門とする学習塾に替えた。天文・地層・河川に関する教材を開発した。旅行形式の塾を企画した。宣伝し、運営した。それは苦難に満ちたものであった(先代との確執、宣伝・集客など)。しかし楽しかった。
大事なことはバッターボックスへ立っておもいっきりバットを振ることである。三振になってもいい。結果などどうでもいい。

人はその人生が楽しかった場合、死を恐れるものではない。やりたいことをしなかった場合、死にたくないであろう。すなわち、死を怖がるであろう。

死は活き活きと生きた者にとって怖くない。
西行の和歌を紹介する。下記は、新古今和歌集の最後(1978番目)に掲載されている。藤原定家など撰者がその生きざまと和歌の出来栄えに敬意を表し、西行を最後に載せたものだと言われる。死期が近づいたことを知った西行が読んだものである。
  闇(やみ)はれて心のそらにすむ月は
     西の山べやちかくなるらん
  意訳:
  夜の暗闇が明るくなってきた。月が西のほうにかかって
  いる。
  私の心にある月も、やがて、西方にあるという浄土に
  向かうであろう。

posted by sakonjqs at 05:42| 哲学物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月30日

社会参画(3)

ヒトは、自分の好きなこと、他人より秀でたことを「ドア」として人生を歩むことによって、まわりの人たちと仲良くすることができる。無理なく会話することができ、気楽に同席することができ、いっしょに楽しい時間を過ごすことができる。嫌いな飲み会に行くこともなく義務的な年賀状を出すこともなくなる。

私の知人の話をしよう。
かれは電子関係の専門学校を卒業した。その専門学校を首席で卒業したものは、例年、NHKに推薦されるのだが、彼は別の会社に推薦されたので、成績一番ではなかった。しかし優秀であったそうだ。数年のあいだ、大企業のメンテナンス部門に働いた。その後、電子部品を開発する会社を興した。彼が社長をした。船舶・自動車で使われる装置である。一時期、従業員は40名ほどになった。しかし、途中から資金繰りが悪くなり、最終的に倒産した。
私は、倒産したあと、彼に会いに行った。そこで彼は倒産の経緯を述べた後、次のように言った。
   倒産したあと、人間関係はまったく変わっていない。
   ただ、お金でつながっていた人とはこれをきっかけに
   なくなった。しかし、お金でない部分でつながっていた
   人とは仲良くしている。

これが個人と個人のあいだの関係である。その人が逆境にあろうと人間関係が変わることはない。西行の和歌を引用しよう。新古今和歌集の627番目に採られているものである。
   さびしさにたへたる人もあれな
          庵ならべん冬の山里
   意訳:
   さびしい想いをした人がいるだろう。私の
   庵でよければ、いっしょに話しあおう。

posted by sakonjqs at 06:43| 哲学物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月29日

社会参画(2)

たとえば、動物病院の獣医になりたいと思ったらそれになればいい。食べることが好きだ、食べることにかかわる仕事をしたいと思ったら、それになればいい。

たとえば、小学校で日食観測のノートを褒められ、教室に貼り出されたことが記憶の底にあるヒトは、それになればいい。理科教師、測量士、イラストレーターなどあなたの記憶の種類によって異なるが、関係する道に進むことができる。

ピアノにあこがれた、それをやりたいと思ったら、やればいい。それが小学生であっても定年退職したあとであっても、ピアノの出来栄えに関する到達点に関係ない、「思い立ったが吉日」とばかり即日ピアノ教室へ申し込めばいい。

好きなこと、得意なことをすることを通して人は社会に参画する。それによって人は活き活きと生きる。人間関係に悩む人が多いと聞くが、自らドアを開けた人にとってその人の望む人間関係を築くことができる。他人の目など気にしなくなる。
西行の例をあげる。次は新古今和歌集のなかの1297番目の和歌である。
  うとくなる人をなにとて恨むらん
       知られず知らぬおりもありしに
  意訳:
  人間関係が疎遠になったとても気にしない。
  もともとその相手が私を知らなかったし、私がその
  相手を知らなかったこともあったのだ。
  関係ない人であると受け止める。

西行にとって(そして現代の私たちにとって)好きな人と付き合えばいい。それ以外にない。どうして人間関係に悩む必要があろうか。もし人間関係に悩んでいる現代人がいるとしたら、その現代人は自分の好きなこと、得意なことをしていないからである。さっさと辞めて自分の道を歩むことが自分のために大事だ。


posted by sakonjqs at 06:35| 哲学物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする