2017年06月27日

細分化の功罪

デカルト「方法序説」に次のことが書かれている。
  第二。私が吟味する問題のおのおのを、できるだけ多くの、
  しかもその問題を最もよく解くために必要なだけの数の、
  小部分に分かつこと。

この規則でずいぶん助けられた。大きな問題であっても、まずちっちゃな問題にとりかかる。すると、全体がくる。

これを推し進めていくと、というか、自分のやり方が細分化になれてしまうと、実は由々しき問題が生じる。どういうことかを説明しよう。
一つの場を考える。その場に「私」「あなた」「贈り物」がある(いる)。私があなたに贈り物をあげる。次の二つの考えが私に浮かんでくる。
  A:
   私とあなたは別の人間。贈り物をあげた。
   あなたは私に何らかのお返しをするべきである。それが礼儀だ。
  B:
   私と言い、あなたと言い、全体に属している。
   あなたが幸せになることは私が幸せになることだ。

デカルトの細分化に関する考えは上記Aの考え方になるのではないだろうか。
欧米が行き詰っている。欧米は科学的思想に立脚している。科学とは、デカルトの哲学を土台にしている。どうしても、細分化する(ある領域を定義し、その範囲で究明し、解決する)。無理が生じるのではないだろうか。

posted by sakonjqs at 10:50| 哲学物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月16日

これも、幸せ・・・

災いとか、失敗とか、これらを避けることも幸せなのだろうか・・・? そもそも「幸せ」などという直接的な感情は最近発生したものではないだろうか? 昔は喜怒哀楽といった。このなかの「喜」も「楽」も幸せとはちょっと違うように思う。

災いとか、失敗を避ける方法を過去の哲学者はいっぱい考えた。孔子は論語のなかで言っているし、ルネ・デカルトは哲学原理のなかで言っている。孔子もルネ・デカルトも私たちに多くの知恵を残してくれたが「幸せになる方法」は述べていない。

現代において、多くの人は、「どうしたら幸せになることができるのか?」を考える。それって、新しいことのように思う。
posted by sakonjqs at 05:53| 哲学物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月15日

寄付をすると幸せになる

私は寄付をすると、ほんのちょっと、幸せになる。

もっと多額の寄付ができるといいのだが・・・、少額である。自分のお小遣いのなかから残し、それが1万円とか、2万円とか、たまると寄付する。しかも、ユニセフとか、国境なき医師団とか、そのとき、手元にある振込用紙に別けて振り込む。だから一つの団体に対し、5千円とか、3千円になることもある。

でも、不思議なことに、気持ちが楽になる。「幸せ」というと大げさである。ほっとするのである。

哲学とは知恵を整理し、知恵を発揮することであり、あるいは他人の知恵を学ぶことである。哲学の目的は自分が幸せになることである。少額の寄付をすることによって幸せになるとしたら、その考えを身に着けたものは哲学を身に着けたことになるのではないか。
posted by sakonjqs at 17:48| 哲学物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする