2017年09月10日

受け止めの違い3

政治とか、宗教とかは人の精神に密着した領域である。よろこび、悲しみに根を下ろしている。したがって、信じるか、信じないか、である。路上で宗教を説く人がいる。その人と話しても妥協点を見いだせない。その人は信じているのだし、私は信じていないのだから、これはもう私の「負け」なのだ。

でも、哲学は違う。
哲学=知恵(の集積)である。デカルトだってそうだ。彼は「方法序説」のなかで「私はこんなふうにモノを考えた。この考え方で多くの問題を解くことができた」と自分の知恵を披瀝しているにすぎない。彼は確信にたどり着いたが、信じるとか、信じないとかの次元ではない。
デカルト(が生きていれば、彼)と議論することは可能だ。デカルトは「あ。これはマチガイでした」という余地がある。事実、現在にデカルトが生きていたら、彼の物理学に関する認識の大部分は間違っていることを認めるだろう。




posted by sakonjqs at 07:42| 哲学物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。