2019年03月20日

解説(4)

 わからなかったこともあります。
 第一に彼の生活のための収入源です。当時の主たる産業は農業です。生活の糧は農業を行うか、農民から搾取することです。彼が農業をしたとは想像できないし、連行されたバビロンで搾取が成り立ったとも思えません。金銀・宝石など財産を持っていた可能性はありますが、祖国イスラエルで聖職者であったエゼキエルが多額の財産を持っていたと考えることは、やや無理があると思うのですが・・・。

 第二に、彼の身長・体格・声量など実像がわかりません。聴衆に語るさいの声はどうだったのでしょうか。一般に、大きな野太い声で他人の五臓六腑を揺さぶることによって他人を振り向かせることができます。キリストもマホメットも聴衆を得るために工夫をしました。彼はどのような体格・声量だったのか、どのような工夫をしたのか、わかりません。

 第三は、若い頃のエゼキエルが聖職者になるために何を勉強したのか、わかりません。彼の預言者としての土台を築いた知識は何だったのでしょうか。
 わたしたち経営コンサルタントは成果を目で見てわからせるため整理整頓清掃から始めるように、預言者といえど、非暴力だとか、愛だとか、善だとか言ってみても聴衆は信用しないわけでして。実利を証明する必要があったと思います。どのような罠をしかけたら狩猟の成果が大きくなるか、どの植物を植えれば栽培の成果は大きくなるか、あるいはどのような空の状況から雨・風などを予測するとか、実利的な技能はどうだったのでしょうか。

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2019年03月19日

解説(3)

 旧約聖書は39編からなっています。エゼキエル書はエゼキエルのいう名の預言者の言説をおさめた編です。なぜエゼキエル書かというと、ユダ国が滅亡する時代に「活躍」した預言者であり、論理的であり、長文だから、です。

 正直言うと、わたし、旧約聖書全体を読んだうえで選択したわけではありません。何冊かの解説書を読み、わたしの疑問「経営コンサルタントとして参考にできないか」に回答を与えてくれそうだと思ったからエゼキエル書を読み、熟読する方法としてノートに書いた(=ブログに掲載した)次第です。自分のため、です。

 ここまで読み、わかったこととわからないことを述べます。

 わかったことは三つあります。
 第一に、エゼキエルは過去の経緯と現在の状況から未来を演繹したことです。彼は祖国イスラエルの地から1000km離れたバビロンに連行され、その地にいながら、第17章で示したように、祖国イスラエルの滅亡は避けられないと直感します。その理由は歴史のうねりを把握したから、でしょう。すなわち祖国イスラエルは弱小国であり超大国バビロニア帝国とエジプト帝国が領土拡大政策をとっていることを冷静に受け止めたから、ではないでしょうか。

 第二に、彼は情報収集力に優れていたように見えます。神ヤハウェに連れられてイスラエル国を見学する記述があるのですが、これらは流浪民か旅芸人か貿易商人のような者から仕入れた情報でしょうが、イスラエル国の風紀が乱れ、貧富の差が大きくなり、国としての弱体が顕著であることを知ったものと思われます。

 第三に、彼は祖国イスラエルで聖職者(=支配者階級の構成員)であったのですが、イスラエル国の団結力によって国力が決まり、国力によって庶民の生活が成り立つということ、およびその土台は戒律という精神的な領域にあることを理解していたのではないでしょうか。逆に言うと、軍事とか財力は大事だが、もっともっと大事なものは「心」であると思ったのでしょう。

posted by sakonjqs at 06:47| 意訳旧約聖書エゼキエル書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月18日

解説(2)

 現代社会において、先生といわれる人は、その言行に高度な信頼性があるからこそ、成り立つ職業です。たとえば高校の数学の先生は、順列・組み合わせ、ベクトル、微分・積分、確率が、その後の人生で役立つから成り立つ職業です。昨今、「英語が必要だ」という声に押されて英語の先生が増えています。日本では道徳の先生は成り立たないため存在しません。

 医者といい、弁護士といい、税理士といい、資格を持っていることによって成り立つのではありません。信頼感のある実績によって成り立つのです。
 ましてやわたしたち経営コンサルタントは「ピンからキリ」までいます。社会的に名前が知られ、企業との好ましい関係ができたあとに、コンサルティングが発生します。著名大学を出ていて、著名企業で役員を務めたとしても、その実績が信頼され、その内容に興味を示した企業がある場合にだけお声をかけられます。企業側が「役に立つ」と評価すれば仕事が継続します。

 これは古代イスラエルにおいても同じであったと推察されます。古代において、為政者、庶民が預言に価値を見出したから成り立ったのでしょう。
 シャーマニズム(=精神的錯乱)で預言したのであればわたしにはその方法を修得することは不可能です。しかし論理的な方法で価値を提供したと仮定すると、預言者と呼ばれるものはどのようにして価値を修得・体得したのか、興味があります。

posted by sakonjqs at 05:35| 意訳旧約聖書エゼキエル書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする